福島応援取材2
昨日も晴天に包まれた福島市内。
いよいよ、20キロ圏内に突入です。
田村市都路町(みやこじまち)。
一時、警戒区域に指定されたこの場所が、震災後初の避難指示解除となった。
およそ100世帯の住民が何の手続きも必要なく、自由に暮らすことが出来るようになったんです。
そう、我々にとっては当たり前の事が、震災から3年たってようやく当たり前になったんです。
最初に出会った年配の女性。
「嬉しいねー。元々この地区に産まれて、この地区の人のところに嫁いで、ずっと生活していた。不便なところだけどやっぱりここは好きだ。」
何がしたい?
「今までは時々しか帰ってこれなかったから、これから米が作れる。やっぱりそれが一番だ。」
ただ…。
「収穫を迎えた時、放射線の恐怖がまた襲うかもしれない。全部調べられて、線量が高かったら全てパーになる。嬉しいけど心配が消えることはまだねーだろうなぁ」
みんな一様に、嬉しさと同時に心配も抱えている。
見えない放射能の恐怖、地元に帰ってこない近所の人たち。
めっきり若者の姿は消えたようだ。
2人目のおばあちゃんと出会ったとき、おばあちゃんは採りたてのネギをいっぱい抱えて帰るところだった。
「こうして農作業が出来るのが嬉しい。避難所では仕事もなくボーッとしていておかしくなりそうだった。農家だからこうして収穫する喜びを味わえることが何よりも嬉しいんだ。」
いい香りですね?ここまで届きますよ!
「持っていくかい?こんなにいっぱい収穫しても誰も食べねーんだ」
1週間のホテル住まい。正直食べる機会はないと思ったけど、お婆ちゃんの嬉しそうな顔を見ると断れなかった。
大きな袋いっぱいに詰めて渡してくれた。
お陰で帰りの車の中はネギの強烈な香りで充満していた。
3人目のおじいちゃんは、避難中に裏庭の杉が倒れ、めちゃくちゃになった屋根の修理をしていた。
「やっと帰ってこられた!ここは最高だよー。
ウグイスの鳴声も聞こえる。
避難所では聞けなかったんだぁ。
あー、帰ってきたなぁって感じするなぁ」
何もないところ。
電波も上手く入らない奥深いところ。
コンビニも1時間くらい行かないと無い。
本当に田んぼと畑と家だけ。
人口より牛の方が多かったこの集落に、今は牛の姿はない。
でもみんなが「やっと帰ってこられた!ここは最高だよ」って口にする。
自分にとっては小さな幸せに思えることが、ここの方々には大きな幸せなんだなぁ…。
『避難』って。
安全な所に逃げるのではなく、住み慣れた場所を奪い、安らぎを奪い、心の拠り所を奪っていくんだなぁ。
そんなことを感じた。
自分たちが今どれだけ恵まれているか…。
「ばぁさーん!!!!熊本からお客さんだよー!!!おい!コーヒーいっぴゃー飲んでいけー。
はよ上がれってぇー。」
ホコリにまみれた小さな家。
色んなものが散らばり、とても客を招けるような状態ではなかったけど、豪邸にでも招き入れるように、老夫婦ニコニコしながら片付け、スタッフ3人がようやく座れるスペースを作ってくれた。
コーヒーは苦いし、ぬるいし…。
ハッピータンはまさかのパサパサ。
得たいの知れないドーナツのようなお菓子。
すごくにこやかに見つめている2人の顔と、半分くらいしか理解できない福島弁…。
でも、何となく落ち着いてしまうもんで…。
震災前はこうやって地元の人たちを招いてはもてなしてきたんだろうなぁ。
そういう人いるよなぁって思った。
何か自分の矢部のじーちゃんに似てて、懐かしい感じがした。
ここは同じ日本。
ここにいるのは同じ日本人。
幸せって何でしょーね。
およそ100世帯の小さな集落。
田舎に似つかわしくないパトカーや白バイの行列がパトロールしながら通りすぎていった。
「自由に出入り出来るようになったからね。どっかからか泥棒が来て、避難して無人になっている家を荒らして行きよるんよ…。震災後はこんな場所にも泥棒がいっぱい来てめちゃくちゃにされたんよ」
ここも熊本と同じ、日本の一部なんですよね…。
でわ、また明日!!