郡司 琢哉
TKUアナウンサー 郡司 琢哉 Takuya Gunshi

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4月16日土曜日の午前2時ごろ、出社すると本棚から本が散乱して足の踏み場もない状態に。
泊まりの人たちと地震後出社してきた数人が、バタバタと情報収集していました。

「熊本市東区などで震度6強」
「熊本市で家屋の倒壊多数」
「八代市で火災発生」

とにかく現場で状況を取材しなければ。

私はカメラマン、アシスタントと3人で浜田アナのクルーと手分けして熊本市内を取材することにしました。

北区清水町で国道3号線松崎跨線橋が陥没。
中央区練兵町で住宅倒壊。
東区熊本市民病院で入院患者の搬出。
これらを取材し、人の流れに沿って東区湖東中学校の避難所を訪れました。

体育館に座ってパソコンを操作していた20代くらいの男性に話を聞くと、
「両親が西原村にいるんですが、まだ連絡がとれないんですよ」と不安そうな表情。

どんな言葉をかけたらいいのか分からず、ただ悲しい気持ちになりました。

冷たい夜風が外にいる被災者の体温を奪い、続く余震が不安感をあおったあの日の夜。

気がつくと東の空は徐々に明るくなり始めていました。

2度目の大きな地震の直後、外に出てみると廊下も真っ暗。
エレベーターも止まっています。
ガスのような臭いもしました。
「爆発するかもしれない、とにかく離れよう・・・」

1階まで降りると駐車場や前の道路は命からがら逃げだした人たちでいっぱいになり、
異様な光景になっていました。
お年寄りや小さな子どももいて、みな不安な表情です。
「大丈夫でしたか?ケガはなかったですか?」
近くにいる人に声をかけ、少しでも不安を取り除こうとしました。

電気は20分ほどで復旧し明るさは戻りました。

携帯電話と財布だけを持って家を飛び出した私は電気が復旧したのを見て、
阪神淡路大震災の時に多発した「通電火災」が発生しないか心配になりました。

「1回目に倒れなかった食器棚が倒れ、1回目は比較的落ち着いていた熊本市内が混乱している。
これは14日の地震より揺れの大きな余震に違いない・・・。
益城町は大丈夫か?熊本市内でも被害が出ているかも」

そんな思いを頭の中でめぐらせ、
地震発生後30分くらい経過したころ私は会社へと向かうことにしました。

「地震が起きたらまず会社へ」
普段からそう心がけていた私ですが、
本当に酷い地震が起きたときは自分の命を守るに必死で、簡単に出社することすらできない。

そう教えてくれた地震でした。

最初の地震から28時間後に襲った揺れ。
その時私は自宅マンションにいました。

縦揺れか横揺れかも分からないくらい激しく振られ、まさに立っていられない状況に。
一瞬にして電気が消えて真っ暗になり、家具が倒れる音、物が落ちて割れる音、
それに緊急地震速報を知らせるあの不気味な音が交錯していました。

リビングにいた私は、這って窓際にたどり着き、壁にしがみついて揺れが収まるのを待ちました。
窓際に逃げたのは、落ちてくる照明を避けるためです。

結局どれくらい揺れていたんでしょうか。
やがて激しい揺れは収まりました。

真っ暗でしたが、タンスや食器棚が倒れたことは想像ができました。
天井からつりさげていた照明も落ちて、破片がそこら中に散らばっていました。

「死ぬかと思った・・・」

その時、浮かんできた感情は「死ななかった」ということ。
このあと火事が発生するかもしれないし、もしかすると建物が倒壊してしまうかもしれない。
そのとき「助かった」という気持ちにはなりませんでした。

「とにかく外に出よう」

私は携帯電話を探し出し、それをペンライト代わりにして散乱したものをかき分けて外に出ました。

4月16日午前1時25分。
未明の熊本を襲った、のちに「本震」と言われた地震。

外に出てみると、そこは異様な光景が広がっていました。

「地震が起きたらまず会社へ」
私は中学校から車を走らせ、会社に向かいました。

幸い道路の破損も大きな渋滞もなく、10分ほどで会社に着きました。
アナウンサーでは荒木アナとほぼ同時で一番乗りだったと思うのですが、
これは単純に地震発生時どこにいたかによると思います。

先述の通り、私はバレーボールをしていてTシャツ短パンで汗だくだったので、
とりあえずスーツに着替えてスタジオに入れるようにし、報道センターで情報収集にあたりました。

「益城町で震度7」

家屋の倒壊、火災の発生、落石による交通への影響・・・
信じられないような情報が次々と飛び込んできては、それを原稿にまとめ、
スタジオに入って全国放送でお伝えするという流れが、翌日の昼くらいまで続いたと思います。
正直、何回オンエアーしたかも覚えていません。

15日昼、被害の大きさから夕方のみんなのニュースは全枠全国放送となり、
私たちローカルのキャスターの出番はなくなることが決まったので、
私は上司と相談して現場に出ることにしました。
もっとも被害の大きかった益城町へ。
そして18時50分台の中継で、被災した家族の声を届けました。

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益城町では、倒壊した家屋が道路の一部をふさいだり、道路の損壊が激しかったため渋滞が激しく、
普段なら5分で行ける移動に30分くらいかかりました。

結局帰宅したのは深夜。
私はマンションに住んでいるのですが、家族はより安全なところに移しました。
つまり家には私1人。

「あれだけの大きな揺れ、絶対に大きな余震は来る。でも余震は本震よりは小さいはず」
そう思っていました。

まさかあの地震がのちに「前震」と表現されることになるとは・・・。

今回の地震で亡くなられた方、またご遺族のお気持ちを考えると、何を書き込めばいいのかと悩む日々が続いていましたが、熊本のアナウンサーとして特に県外の皆様に少しでも情報発信できればと思い久しぶりに更新しております。

震災発生からこれまで、私が何をしてどう伝えてきたのかについて何回かに分けてお伝えしたいと思います。

4月14日木曜日夜、私は熊本市中央区のある中学校の体育館にいました。
取材ではなく、プライベートで3年ほど前からお世話になっているママさんバレーの練習に参加していたからです。

まもなく練習を終えようとしていた9時26分、ドンと突き上げるような縦揺れの直後大きく左右に振られました。
体育館にはバレーボールと、バドミントンを楽しんでいた子どもたち、合わせて40~50人がいたと思います。

恐ろしい大地の軋むような音と、物がぶつかり合うような音、また悲鳴で騒然となったことを覚えています。
一瞬で電気も消えましたが、水銀灯のため真っ暗ではなく少しは見えていました。
バレーのメンバーは私より先に皆、非常口の扉付近に逃げ込み抱き合っていました。

私はというと、意外と冷静で、
「初期微動から主要動までが早かったから震源が近いだろうな」
「水銀灯が落ちて直撃しなければ大丈夫」なんてことを瞬時に考え、
上を見て左右に大きく振られた水銀灯の下に入らないようにしながら、ゆっくり非常口の方に歩きました。

揺れは30秒から1分くらい続いたと思います。

瞬時に「これは震度6前後か」と感じ、甚大な被害が出ているであろうことは想像できたのですが、
その場にいた人たちは無事だったので、つとめて明るく「会社行ってきまーす」と言ってその場をあとにしました。

それまで熊本は震度3の地震があってもトップニュースで伝えるような土地柄。
それは私にとって経験したことのない揺れでした。

タケノコ

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タケノコを見ると夜更かししなければという感覚になります(笑)
(詳しくは去年のブログをご覧ください)

今年もドライバーのTさんから、立派なタケノコいただきました!

春の真ん中

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春分の午後、陽光を受け風に揺れるつくし。
そして今日、熊本もソメイヨシノが開花。

春も後半に入りました。

nikuman

皮が厚すぎて、熊本名物「いきなり団子」みたいになってしまいました(笑)
しかも蒸す時に、フライパンの水分がいつの間にかなくなっててセイロから煙が出てくるし・・・

はい、失敗でした。

熊本城マラソン2016は、
残り150メートルまで勝負の行方が分からないという歴史に残るデッドヒートを制し、
杉枝真二選手の初優勝で幕を閉じました。

私は今年も第一移動車で先頭集団の模様を実況させていただきましたが、
私自身こんなに手に汗握る展開はなく感動と興奮の優勝争いを間近で見ることができました。
うまくお茶の間に届けられていればよいのですが・・・。

毎年思うことを、毎年書かせていただきますが、
この熊本城マラソンの前だけは正直不安で眠れない日が続きます。

市民ランナーの大会、参加人数は1万2000人。

まず優勝候補は誰か、序盤先頭集団で走る人は誰か?
この辺りは、過去の経験からの人脈とランナーたちからの情報提供以外にありません。

ある選手に電話をかけると
「〇〇大学(関東)の、〇〇選手が出るみたいですね。
『優勝を狙う』ってSNSに書いていたそうですよ」と教えてくれます。

慌てて出身高校の監督に連絡先をお聞きし電話をかけてみると
「楽しんで走ります、3時間半くらいですかね」と笑い飛ばされ、
「頑張ってください」と言って電話を切ることもありました。

そんなこんなでやり取りすること数10件。
でも1万2000人の中で私が連絡取ったのは1%未満。
隠れた名ランナーが2時間15分で独走するんではないか?
そんな不安な気持ちに毎年さいなまれます。

今回はエリック・ワイナイナ選手のゲスト参加もありました。
「楽しんで走る」とのことでしたが、いざスタートしたら勝負本能に火がついて、爆走が始まるんではないか?
終わってみれば取り越し苦労でしたが、実況アナウンサー仲間ではそんな想定も少しだけしていました(笑)

来年熊本城マラソンに出場しようという方で、もし「俺は2時間30分を切る!」という方。
いらっしゃったらレース前にぜひご一報ください(笑)

ランナーの皆さま、ボランティアの皆さま、応援の皆さまお疲れさまでした。
そしてテレビをご覧の皆さま、ありがとうございました。

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第1移動車、私から見た景色です。
レース当日朝7時、TKU駐車場を出発!

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事務局からいただく1万2000人分の参加者名簿。
印刷すると電話帳みたいになります(笑)

わたくし先週インフルエンザに罹患いたしまして、火曜日から金曜日までお休みしました。

高熱が出たのは火曜日だけで水曜日には平熱に戻りましたが、
会社に出てウィルスまき散らすわけにもいかず家でおとなしくしておりました。

結果的に家族や同僚、また友人などにうつさなかったのはよかったです。
皆さまもお気をつけください。

nakabarugawa

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写真は本文とまったく関係ない極寒の阿蘇の風景。

川が凍ってしまった南小国町の中原川と、阿蘇市大観峰下の国道沿いの滝です。
どちらも案内看板も、駐車場もない穴場スポットです。

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