特攻隊の中継基地・菊池飛行場にまつわる証言を後世に 大津高校生が映像作品を制作【熊本】
来年は戦後80年。戦争を体験した世代が少なくなる中、高校生が特攻隊の中継基地だった菊池飛行場にまつわる証言を基に映像作品を作りました。
記憶を未来につなぐ取り組みです。
県立大津高校メディア放送部です。
さまざまなコンテストで受賞歴のある部活が作品の題材に選んだのは、戦時中、菊池市にあった『菊池飛行場』での出来事。
中原アナウンサーの祖母・妙子さんの体験です。
【中原 妙子 さん(享年97)】
「『行きたくないなぁ』と言った。『沖縄の船に突っ込みます』って。童顔で、よか息子だった」
『陸軍菊池飛行場』は熊本県内最大規模の軍用飛行場で、太平洋戦争末期には沖縄方面に向かう特攻隊の中継基地にもなりました。
1945年昭和20年の春、18歳だった妙子さんは仕事の帰り道、2人の特攻隊員に呼び止められ、「自分たちはあすには鹿児島の知覧に行き、あさってには沖縄に来ているアメリカの戦艦に特攻します。軍刀と手帳を自分の家に送ってほしい」と頼まれました。
妙子さんが承諾すると、1人の特攻隊員がこうつぶやいたといいます。
【特攻隊員】
「行きたくないなぁ」
妙子さんは自分と同じ年の頃の特攻隊員に何と言っていいか分からず、ただ黙って見送ることしかできませんでした。
【大津高校2年 前田 幸大 さん】
「自分の立場で考えると正直絶対に行きたくないし、国のために死ねるわけないし、それを当時言ってしまうと『非国民』とか言われるような時代で、恐ろしいと思った」
生徒たちは再現映像を撮影するためにモンペなどの衣装や小道具を準備しました。
【2年 加藤 佳琳 部長】
「モンペという物は知っていましたが、持ったり履いたりしたことはなかった」
再現映像を撮るのは初めて。想像力を膨らませ、表情やしぐさで当時の様子を再現しました。
【2年 加藤 佳琳 部長】
「〈特攻隊員が駆け寄って来る瞬間はこうだったんだろう〉と体験として知ることができてよかった」
【1年 小野 明斗 さん】
「まだ十数年しか生きてないのに、あさってには特攻で死んでしまうという想像もつかない出来事を現実として受け入れるしかない状況はとても恐ろしくて…(中略)今では常識的に考えておかしいことだが、当時は普通なのかもしれないし、特攻隊員の『怖い』とか『行きたくない』という気持ちを身にしみながら演じました」
そして、生徒たちは関係者から証言を集めました。
【高校生から取材を受ける中原理菜アナウンサー】
「すごい証言だと思った。『行きたくない』と言えるのが平和なのだろうと思いました。正しく聞いて次の世代につなぐのができることだと思った」
作品のタイトルは『未来への記憶』。
ナレーションを吹き込むのは特攻隊員を演じた生徒です。
編集も生徒たちが行います。
【生徒たち】
「自然なのがいいね。3番目がいい」
~作品の制作中に妙子さんは97年の生涯を閉じた~
【メディア放送部 顧問 大塚 章史 教諭】
「中原妙子さんが永眠されました。〈バトン〉があなたたちに来ている。大切なものを預かりましたね」
~完成作品一部抜粋~
【九州高校放送コンテスト熊本県大会テレビ番組部門で2位入賞】
【加藤 部長】
「戦争を体験した人はこれから少なくなっていく。『未来への記憶』のように戦争はなくなってほしいが、あった出来事は忘れていってほしくないと感じました」
そして、作品完成後、生徒たちは菊池飛行場跡へ。地元の泗水中学校の生徒に記憶を伝えるボランティアガイドを行いました。
来年は戦後80年。記憶を未来へ、若い世代が動き始めています。