郷土の偉人シリーズ第29作「結びの糸・原田 茂~洋装への扉を開いた火の国の女~」(略歴)

テレビ熊本ドキュメンタリードラマ 郷土の偉人シリーズ第29作「結びの糸・原田 茂~洋装への扉を開いた火の国の女~」

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略歴

原田 茂(はらだ しげ)
明治29年(1896年)生/昭和59年(1984年) 享年88

明治29年(1896年)合志村平島の原田 勝太郎・万寿の長女として生まれた原田 茂(はらだ しげ)。※シゲモ、のち、シゲと 改める
栄小・豊岡小を経て、大正3年に尚絅高等女学校を卒業、大正4年に結婚し長男をもうけたが、訳あって離婚。その後、発奮して上京し、和洋裁縫専門学校(現在の和洋女子大)に入学。大正10年、同校を卒業し、兵庫県で女学校の教諭となった。
しかし、和裁教授に飽き足らず、大正12年に再び上京し、当時、日本で最初の洋裁学校 文化裁縫女学校(文化服装学院の前身)に入学し、卒業と同時に同校の教師となり、教師のかたわら、服飾研究に情熱を傾けた。 大正デモクラシーの時代も終わり、昭和初期になると、女性の洋服着用に対する憧れが増し、洋裁熱も高まり、研究に余念のない原田は早くも洋裁界の先達となり、全国へ講習行脚、婦人雑誌にデザイン発表と、時代の脚光を浴びる存在となった。昭和10年代は服飾界にとって暗い時代だったが、文化服装学院には志願者が増え続け、原田は同校教務部長として活躍。そのかたわら、女子美術大の講師も務めるなど、戦後戦災の母校を復興させ、原田を中心とする「文化式洋裁独習書」は全国の洋裁独習者の宝典となった。
昭和29年58歳になった原田は、服飾へのあくなき探求心から、ヨーロッパ視察7か月の研究旅行に旅立つ。さらに、文化服装学院院長に就任。以来11年間、75歳で学院長を辞任するまで、本邦服飾教育界の最高峰に立って活躍する。また、学院長辞任後も、名誉学院長として勤務し、最後の情熱を傾けた。
原田は、勲4等瑞宝章、日本ファッション・エディターズクラブから感謝状、アメリカン学術賞、アカデミー賞を受賞。昭和59年88歳、病没し、都内の高尾霊園に眠る。

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