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15日退任の蒲島知事 若者へ3つのメッセージ【熊本】

蒲島知事の座右の銘の一つに『逆境の中にこそ夢がある』という言葉があります。
15日に退任する蒲島知事への単独インタビュー。知事から若者へのメッセージを届けます。

【蒲島 知事】
「今の私の原動力は夢を持ち続けることにある」

4月15日で熊本県知事を退く蒲島知事。

アメリカ・ハーバード大学の大学院を卒業後、東京大学の教授を経て熊本県知事に就任しました。

【蒲島 知事】
「熊本県知事になることができたのは夢を持ち続けたから。その経験を踏まえて若い世代に3つのメッセージを贈りたいと思います。一つ目は私の座右の銘の『逆境の中にこそ夢がある』です」

蒲島知事はことし2月の知事として最後の県議会で自身の高校時代までを次のように話しています。

【蒲島 知事】
「思えば私は村一番貧乏な家に生まれ、そして小・中・高と落ちこぼれ」

旧鹿本郡稲田村、現在の山鹿市に9人きょうだいの7番目として生まれた蒲島 知事。

自身の本で幼少期や少年時代を『極貧生活』や『落ちこぼれ人生』と表現しています。

小・中・高と蒲島 知事と同級生の芹川 孝弘さんは当時を次のように振り返ります。

【同級生 芹川 孝弘さん】
「子どもの考えじゃなくスケールが大きかった。だからイジメられてもいた、逆に。(学校では)「蒲島君どこにいるの?」と図書館か一本松だった」

【蒲島 知事】
「学校の勉強もほとんどせずに鹿本町の一本松の丘で小説を読みふけりながら将来の夢に思いをはせていた少年時代だった」

蒲島知事が高校時代に学校を抜け出し読書にふけっていたのが山鹿市鹿本町にある一本松公園。

蒲島知事は読んでいた小説の影響から『小説家』や『政治家』、そして遠くに見える阿蘇で『牧場主』になるという夢を育んだといいます。

【蒲島 知事】
「二つ目は、未来に向かって最初の一歩を踏み出すことが大事。三つ目は、夢の実現のために周囲の期待値を超える120パーセント努力すること」

『牧場主』の夢に向かい、21歳のときにアメリカへ農業研修生として一歩を踏み出した蒲島 知事。

その後、学問に目覚め、アメリカの大学で学ぶため努力を重ねたといいます。

【蒲島 知事】
「周囲の期待値を超える努力を続けていれば、必ずそれを見てくれる人が現れ、それが人生の更なる大きなステージにつながっていくと思います」

成績優秀者だけが認められる奨学金制度で、ネブラスカ大学からハーバード大学大学院へと進み、その後、蒲島(かばしま)知事は筑波大学や東京大学の教授を務めました。

【木村 敬さん】
「東大法学部史上初めて東大を出ていないどころか日本の大学すら出ていない(東大)初めての教授でエイリアンだった。先入観なく「蒲島さんの常識」でぶち壊していく人だった」東大教授時代の教え子で副知事として蒲島知事を支えた次期熊本県知事の木村 敬さん。

蒲島 知事の教授時代は、それまで学生が入ることを許されなかった教授室を学生に開放し自由に研究させるなど「当時としては型破りだった」と振り返ります。

【木村 敬さん】
「無茶苦茶なんですよ。無茶苦茶なんだけど、この人と一緒だったらできる気がする、と嫌な思いもしたかもしれないし、僕自身も苦言を言ったが、それでもニコニコされて、ありがたいリーダーだった」

木村さんは自らが努力を重ね、『皿を割れ』の精神の蒲島知事だからこそ、「多くの人が慕い、前に進むことができた」と話しました。

また、同じく元教え子で元副知事、現在は衆議院議員の小野 泰輔(たいすけ)さんは東大教授時代の蒲島知事を次のように振り返ります。

【小野 泰輔さん】
「方針は示すが『後は自分たちで考えてやれ』と。やる気のない人は教えてもらえないし、構ってもらえない。やる気と情熱がある人はどんどんチャンスをつかんでいく」

また、小野さんは「『蒲島イズム』を大切にしたい」と話しました。

【小野 泰輔さん】
「くまモンや災害復興も県民が前向きに歩ける県をつくったんじゃないか。難しい問題も発生するかもしれないが、蒲島イズムを共有しながらやっていけるといい」

蒲島知事と同級生の芹川さんは。

【同級生 芹川 孝弘 さん】
「あの何もない蒲島君が、小さくイジメられっ子が、熊本県知事を4期16年。大規模な災害もありスケールが大きいから動じず立派な知事だったと思う」

そして、蒲島知事からの若い世代へのメッセージです。

【蒲島 知事】
「あの一本松の丘で過ごした日々は、今になって思えば、その後の私の人生を変える大切な経験だったと感じています」
「未来ある若い方々がそれぞれの夢を実現して、くまモンのように広い世界で思い切り活躍されることを心から期待しています」

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