郡司 琢哉
TKUアナウンサー 郡司 琢哉 Takuya Gunshi

2016年06月の一覧

熊本地震からどんどん時間がたって、まもなく3カ月になろうかというのに、
私のブログは4月16日の話で止まったまま。

その後はどうだったかというと・・・
私のうちでは、地震のあと1週間で水道が、2週間でガスが復旧しました。

断水期間中はペットボトルの水を電気ポットで温めてシャワー代わりにしました。
すると気づくんです。
「普段のお風呂、どんだけ水使ってんだよ」と(笑)

テニススクールは1週間、スポーツジムは1カ月で営業再開しました。

テニスの仲間、バレーの仲間、同級生・・・
誰に会っても最初は「大丈夫だった?大変だったね」という会話で始まり、
住宅被害がどうだの、皿が何枚割れただのそんな話で盛り上がります。

益城町に行くと、震災直後から何も変わらない景色が広がっています。

mashiki

でも熊本市では、だいぶ日常に近づいてきた感じがします。

今は普通に水が出て、ガスがついて、道路が走れて、お店に行けば物もある。
当たり前のことが、なんてありがたいことか。

こんな気分になるのも宮城県南三陸町にFNN取材団として応援に行って以来、5年ぶりのことです。

まだまだ取材はほとんどが震災関連ですが、
とりあえずコラムのようなものは今回で終了します。

全国からのご支援、ありがとうございます。

4月16日土曜日夜。
取材や特番を終えた私は一旦帰宅することに。

近くのコンビニが開いていたので、入ってみました。
もちろん消費者として出遅れていることは百も承知。
食べ物があるなんて期待はしていませんでしたが、ここでも見ることができるであろう非日常を求めて。

案の定おにぎりやパンはすべて売り切れ。
奥の飲み物コーナーはほぼカラ。
お菓子もほとんどありません。

あるのは水で割って飲むお酒(焼酎・ウイスキー)と塩辛そうなつまみ系。

水が出ない、ガスが来ない、さらに物流もストップして次の商品搬入がいつになるのか分からない段階での
人の心理状態・消費行動が見て取れます。

本震後命からがら飛び出してからほぼ20時間ぶりに帰宅。

家の中の惨状は・・・、まあご想像におまかせします(苦笑)

kumamoto-jishin3

写真は、会社のロッカールーム更衣室に敷かれた布団。
震災直後はここで寝泊まりしました。

4月16日土曜日午後。

私の取材分も含め、各地から上がってきた甚大な被害状況を特別番組で放送することに。
私は尾谷キャスターとともにヘルメットをかぶってスタジオへ入りました。

ちなみにこの時まで、のちに「前震」「本震」と言われた震度7の地震以外にも、
震度6強を2回、震度6弱を3回も観測していました。

また震度1以上は結局4月の3週間で1000回、5月1カ月で500回。
とにかくたくさんの地震に見舞われました。

1500回も地震を経験すれば、いろいろなことが分かります。

例えば緊急地震速報。
震度6以上の地震であれば、
揺れとほぼ同時か揺れのあとで緊急地震速報がなりだすのであまり意味をなしません。

逆に緊急地震速報がなっても、まだ揺れていなければだいたい震度5以下。
本能的に「あ、大丈夫」と思ってしまうのです。

また最初の1週間は数分おきに揺れる状況。
これだけ揺れていると、いま止まっているのか揺れているのか分からない感覚になり、
何か船酔いしているみたい。

ところがそれを過ぎて余震の間隔が少しあいてくると、
鈍感になって震度3でも気づかない(気にしない)状況です。
ちなみに今は余震も落ち着いて、また震度1でも揺れを感じるようになりました。

話もどって本震当日の特別番組。
余震が頻発する中、地震の概要、被害状況、ライフライン・・・。
被災した方たちに必要な情報は何か、限られた時間の中でお伝えしました。

でも家屋が倒壊していたり、停電が発生していたり。
「結局この放送は、そうした人たちには届いていないのか」

こんなもどかしい気持ちになる災害特番も、初めての経験でした。

hodo-studio

写真は報道スタジオ。
このスタジオ横の壁にもひびが入っていました。

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