郡司 琢哉
TKUアナウンサー 郡司 琢哉 Takuya Gunshi

2011年05月の一覧

5月23日、1週間ほどの被災地取材を終え、熊本に帰って来ました。
ずっと南三陸町に行っていたせいか、あの光景が脳裏から離れません。

熊本空港から会社までの道のり、信号はついています。
時速40キロで走っても車はジャンプしません。
そして坂を下って行っても瓦礫の街は広がっていません。

スーパーもコンビニもありますし、蛇口をひねれば水が出てきます。

熊本にいれば普通だと思えることが、とても新鮮に感じるようになりました。

「あたりまえ」を「ありがたい」と思い、感謝しなければいけないと思うようになりました。

見つけました!

苓陽幼稚園のみなさんが送った千羽鶴。
南三陸町のベイサイドアリーナという施設の中の、町長会見が行われるボードの前に飾られています。

みなさんの思いは被災地に届けられていますよ。

宮城県北東部の南三陸町というところで、震災関係の取材をしています。

南三陸町は岩手県へと続く三陸海岸の南端で、とてもカキやワカメなど養殖業が盛んなところです。
ところが今回の震災で多くの港や船が被害を受けました。

町内にいくつかある漁港のひとつ清水(しず)漁港では、11人の漁師さんは無事だったもの震災前50隻あった船が津波ですべて流されてしまいました。

漁船は1隻でも残っていれば、漁師は海のがれきを撤去したり海中の様子を見に行くことができます。
しかしすべての船が流された清水漁港では、震災から2か月以上たった今でもそれができずにいます。

そうした中、50隻のうちの1隻が1キロ離れた隣町の海岸に流れ着いていることが分かり、昨日別の船にえい航されて震災から約70日ぶりに漁港に帰って来ました。
安堵の表情を浮かべる漁師さんたち。
家も車も流されたけど、少しだけ希望が持てた瞬間でした。

宮城県では被災した漁師の3割が、ほかの職に就くことを考えているそうです。
しかし清水漁港の11人は全員、また漁師をしたいと話しています。

「だって俺らには海しがねえべ」

長い道のりだろうけど、応援しています。
「近い将来、南三陸のワカメを見たら絶対に買いますね」と言ってその場をあとにしました。

青空コンビニ

被災地2日目から、宮城県北東部の南三陸町を取材しています。

車で走っていると異様な光景が・・・

がれきの中にワゴン車が1台。その前に店員の男女と店長風の男性が1人。
3人のお揃いの征服からそこが「セブンイレブン」だということはすぐに分かりました。

そこは震災前までセブンイレブンがあった場所。
かつての店舗は津波で跡形もなく、中にあった商品は確認できたもので数百メートル流されたそうです。

震災から2か月で復活した「青空コンビニ」。
ワゴン車の中にはパンやおにぎり、飲み物などが一通り揃っています。
よく被災地を訪れた有名人が「元気な姿に元気をもらった」と言っているのをテレビで見ますが、他の店舗と同じように「いらっしゃいませー」「ありがとうございましたー」と元気に接客する店員の姿に、私も同じような気持ちになりました。

南三陸町では、いまも4000人以上の人が避難所生活を送っていて、電気も水道もほとんど復旧していません。
「自分たちにできることからやろう」そんな町の人の思いが見えた青空コンビニに、胸が熱くなりました。

被災地取材

2週間中原アナの代打で天気予報を兼務しましたが、中原アナと入れ替わりで今週1週間番組はお休みします。

私は明日からFNNの震災取材団の一員として被災地取材をします。

今日熊本空港12:10発の航空機に乗り、愛知の中部国際空港経由で仙台に入りました。3時間余りで着きました。
熊本アナが震災直後に宮城入りした時とは違い、交通アクセスはかなり改善され、昼間は仙台空港も使えます。
ただ電気が復旧していないため飛行機と空港ターミナルをつなぐボーディングブリッジは動かず、バスで移動。
手荷物の回転テーブルも動かないため、空港のスタッフが手作業で運んでいました。

明日からは主に津波で甚大な被害を受けた南三陸町で取材する予定です。
1週間という限られた時間ですが、震災から2か月たって何が復旧して何がまだなのか、しっかり伝えていきたいと思います。

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