郡司 琢哉
TKUアナウンサー 郡司 琢哉 Takuya Gunshi

2016年05月の一覧

健軍からTKUのある北区徳王までは、市電が走る県道いわゆる電車通りを通ってほぼ1本道。
普段なら30分くらいで着きます。

この日は土曜日なのに市電は運休、車もあまり多くなく、
消防・救急などの緊急車両が頻繁に行き来しています。
一部信号機が止まっていて警察官が手信号で対応していたり、街灯がありえない方向に曲がっていたり、
どこを見渡しても日常とはかけ離れた光景が広がっていました。

ちなみに車が少ないと感じたのは午前中だけで、午後には各地で大渋滞となっていたのですが・・・

そして通町を過ぎたころ、また信じられない光景が。

往路の時は真っ暗で気づかなかった熊本城の石垣崩落。
崩れた石垣は県道沿いの神社の社務所を飲み込んでいました。

損壊は石垣が53か所、国の重要文化財が13か所、復元建造物が19か所。
もちろんこれらは、時間がたってから分かったことです。

熊本のシンボルは、皮肉にも熊本地震の象徴的な存在となってしまいました。

kumamoto

※写真は5月11日報道公開時に頬当御門付近から撮影

4月16日土曜日。
夜が明けると、さらに信じられない光景が広がっていました。

kumamoto-jishin-2

東区の健軍商店街でスーパーマーケットが倒壊。
現場の状況をリポートし、商店街の他の店のご主人のインタビューを撮って、
私は撮った映像を会社に送ろうと考えました。

私のクルーは伝送手段を持たなかったので、映像素材をタクシーで運んでもらおうとタクシーを探しました。
ところが、タクシーはおろか動いている車がほとんどないのです。

周辺のタクシー会社に電話をしてみても「今日はすべて止めています」とのこと。

「自分たちの車で会社に戻るしかない・・・」

クルーは益城方面に向かうのをいったん諦め、素材運搬のために帰社することにしました。

私が生まれ育った町は大きく傷つき、その機能すら失ってる・・・。

やむなく判断した帰路の途中で、私はまた悲しくなる光景に遭遇したのです。

kumamoto-jishin-1

4月16日土曜日の午前2時ごろ、出社すると本棚から本が散乱して足の踏み場もない状態に。
泊まりの人たちと地震後出社してきた数人が、バタバタと情報収集していました。

「熊本市東区などで震度6強」
「熊本市で家屋の倒壊多数」
「八代市で火災発生」

とにかく現場で状況を取材しなければ。

私はカメラマン、アシスタントと3人で浜田アナのクルーと手分けして熊本市内を取材することにしました。

北区清水町で国道3号線松崎跨線橋が陥没。
中央区練兵町で住宅倒壊。
東区熊本市民病院で入院患者の搬出。
これらを取材し、人の流れに沿って東区湖東中学校の避難所を訪れました。

体育館に座ってパソコンを操作していた20代くらいの男性に話を聞くと、
「両親が西原村にいるんですが、まだ連絡がとれないんですよ」と不安そうな表情。

どんな言葉をかけたらいいのか分からず、ただ悲しい気持ちになりました。

冷たい夜風が外にいる被災者の体温を奪い、続く余震が不安感をあおったあの日の夜。

気がつくと東の空は徐々に明るくなり始めていました。

2度目の大きな地震の直後、外に出てみると廊下も真っ暗。
エレベーターも止まっています。
ガスのような臭いもしました。
「爆発するかもしれない、とにかく離れよう・・・」

1階まで降りると駐車場や前の道路は命からがら逃げだした人たちでいっぱいになり、
異様な光景になっていました。
お年寄りや小さな子どももいて、みな不安な表情です。
「大丈夫でしたか?ケガはなかったですか?」
近くにいる人に声をかけ、少しでも不安を取り除こうとしました。

電気は20分ほどで復旧し明るさは戻りました。

携帯電話と財布だけを持って家を飛び出した私は電気が復旧したのを見て、
阪神淡路大震災の時に多発した「通電火災」が発生しないか心配になりました。

「1回目に倒れなかった食器棚が倒れ、1回目は比較的落ち着いていた熊本市内が混乱している。
これは14日の地震より揺れの大きな余震に違いない・・・。
益城町は大丈夫か?熊本市内でも被害が出ているかも」

そんな思いを頭の中でめぐらせ、
地震発生後30分くらい経過したころ私は会社へと向かうことにしました。

「地震が起きたらまず会社へ」
普段からそう心がけていた私ですが、
本当に酷い地震が起きたときは自分の命を守るに必死で、簡単に出社することすらできない。

そう教えてくれた地震でした。

最初の地震から28時間後に襲った揺れ。
その時私は自宅マンションにいました。

縦揺れか横揺れかも分からないくらい激しく振られ、まさに立っていられない状況に。
一瞬にして電気が消えて真っ暗になり、家具が倒れる音、物が落ちて割れる音、
それに緊急地震速報を知らせるあの不気味な音が交錯していました。

リビングにいた私は、這って窓際にたどり着き、壁にしがみついて揺れが収まるのを待ちました。
窓際に逃げたのは、落ちてくる照明を避けるためです。

結局どれくらい揺れていたんでしょうか。
やがて激しい揺れは収まりました。

真っ暗でしたが、タンスや食器棚が倒れたことは想像ができました。
天井からつりさげていた照明も落ちて、破片がそこら中に散らばっていました。

「死ぬかと思った・・・」

その時、浮かんできた感情は「死ななかった」ということ。
このあと火事が発生するかもしれないし、もしかすると建物が倒壊してしまうかもしれない。
そのとき「助かった」という気持ちにはなりませんでした。

「とにかく外に出よう」

私は携帯電話を探し出し、それをペンライト代わりにして散乱したものをかき分けて外に出ました。

4月16日午前1時25分。
未明の熊本を襲った、のちに「本震」と言われた地震。

外に出てみると、そこは異様な光景が広がっていました。

最近の投稿

記事一覧

アーカイブ

アナブロ

RSS
follow us in feedly
プッシュ通知でTKUの番組やイベントの
最新情報をお届けします!