郡司 琢哉
TKUアナウンサー 郡司 琢哉 Takuya Gunshi

2016年04月の一覧

「地震が起きたらまず会社へ」
私は中学校から車を走らせ、会社に向かいました。

幸い道路の破損も大きな渋滞もなく、10分ほどで会社に着きました。
アナウンサーでは荒木アナとほぼ同時で一番乗りだったと思うのですが、
これは単純に地震発生時どこにいたかによると思います。

先述の通り、私はバレーボールをしていてTシャツ短パンで汗だくだったので、
とりあえずスーツに着替えてスタジオに入れるようにし、報道センターで情報収集にあたりました。

「益城町で震度7」

家屋の倒壊、火災の発生、落石による交通への影響・・・
信じられないような情報が次々と飛び込んできては、それを原稿にまとめ、
スタジオに入って全国放送でお伝えするという流れが、翌日の昼くらいまで続いたと思います。
正直、何回オンエアーしたかも覚えていません。

15日昼、被害の大きさから夕方のみんなのニュースは全枠全国放送となり、
私たちローカルのキャスターの出番はなくなることが決まったので、
私は上司と相談して現場に出ることにしました。
もっとも被害の大きかった益城町へ。
そして18時50分台の中継で、被災した家族の声を届けました。

jishin1

益城町では、倒壊した家屋が道路の一部をふさいだり、道路の損壊が激しかったため渋滞が激しく、
普段なら5分で行ける移動に30分くらいかかりました。

結局帰宅したのは深夜。
私はマンションに住んでいるのですが、家族はより安全なところに移しました。
つまり家には私1人。

「あれだけの大きな揺れ、絶対に大きな余震は来る。でも余震は本震よりは小さいはず」
そう思っていました。

まさかあの地震がのちに「前震」と表現されることになるとは・・・。

今回の地震で亡くなられた方、またご遺族のお気持ちを考えると、何を書き込めばいいのかと悩む日々が続いていましたが、熊本のアナウンサーとして特に県外の皆様に少しでも情報発信できればと思い久しぶりに更新しております。

震災発生からこれまで、私が何をしてどう伝えてきたのかについて何回かに分けてお伝えしたいと思います。

4月14日木曜日夜、私は熊本市中央区のある中学校の体育館にいました。
取材ではなく、プライベートで3年ほど前からお世話になっているママさんバレーの練習に参加していたからです。

まもなく練習を終えようとしていた9時26分、ドンと突き上げるような縦揺れの直後大きく左右に振られました。
体育館にはバレーボールと、バドミントンを楽しんでいた子どもたち、合わせて40~50人がいたと思います。

恐ろしい大地の軋むような音と、物がぶつかり合うような音、また悲鳴で騒然となったことを覚えています。
一瞬で電気も消えましたが、水銀灯のため真っ暗ではなく少しは見えていました。
バレーのメンバーは私より先に皆、非常口の扉付近に逃げ込み抱き合っていました。

私はというと、意外と冷静で、
「初期微動から主要動までが早かったから震源が近いだろうな」
「水銀灯が落ちて直撃しなければ大丈夫」なんてことを瞬時に考え、
上を見て左右に大きく振られた水銀灯の下に入らないようにしながら、ゆっくり非常口の方に歩きました。

揺れは30秒から1分くらい続いたと思います。

瞬時に「これは震度6前後か」と感じ、甚大な被害が出ているであろうことは想像できたのですが、
その場にいた人たちは無事だったので、つとめて明るく「会社行ってきまーす」と言ってその場をあとにしました。

それまで熊本は震度3の地震があってもトップニュースで伝えるような土地柄。
それは私にとって経験したことのない揺れでした。

タケノコ

takenoko2016

タケノコを見ると夜更かししなければという感覚になります(笑)
(詳しくは去年のブログをご覧ください)

今年もドライバーのTさんから、立派なタケノコいただきました!

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