2016年04月の一覧
頑張ってる人に、「がんばりましょう!」なんて言えないことは
わかってます。でも、一度だけ言わせてください。
一緒にがんばりましょう!
21年前の1・17
15歳の朝でした。
炎に包まれ、押しつぶされ、街中が絶望の色に塗り替えられたあの日。
倒壊した阪神高速を見ながら、声にならない泣き声をあげました。
その後しばらくは視界が灰色一色に染まっていました。
地震前に引っ越した親友のお姉さんが亡くなったことを知ったのは
発生から2週間も後です。それほど混乱していました。
でも僕は知っています。そして覚えています。
「がんばろや! WE LOVE KOBE」を合言葉に
神戸が再び輝きを取り戻したことを。
ぬぐいきれない悲しみを包み込み、前より力強く
生まれ変わった街が確かにそこにあります。
だからきっと大丈夫です!
日課の二の丸ロードワークはずっと続けます。
どんなに目を背けたくても、この光景を目に焼き付けて
復興成るその日まで生きていこうと思います。
(住んで2年の僕がこんなに愛着があるんだから、生粋の熊本県民の
お城愛は推して知るべしなんでしょうね・・・。)
お世話になってる阿蘇にも足を運びますよ!
僕には、取材して伝えることしかできませんから・・・。
この10日間でさえ、大勢の人との出会いがありました。
昨日より今日、今日より明日。
何かを一つずつ積み重ねて、変えて、過去を上回る熊本にしましょう!
先週は甲子園に入り浸って取材しておりました。
の、裏バナシをちょっとだけ。
甲子園球場で取材した映像と原稿を、臨時取材本部から
TKU本社に伝送します。
はい、いわゆる実家デス(笑)
関西テレビから送るという手もあるんですが、
なにせ甲子園から15分。記者室より断然静かだし!
活用しない手はないでしょう。
秀岳館ナインの勇姿、実は我が家のリビングからお届けしてました。
原稿も快調に書けること!おかん、ありがとう(笑)
しか~し!午後の試合だと放送まで時間がないのは
藤崎台も甲子園も同じ。
電波を探して渡邉カメラマンが窓際へ。
頑張れWi-Fi!
試合と同じくらい手に汗握る展開・ドラマを乗り越え、
原稿と映像を送り終わったのが午後6時。
みんなのニュースが終わるか終らないかの時間ですが・・・
その後まもなく36歳のアナウンサーとカメラマンコンビが
道頓堀(ミナミ)の街に沈没していったのは
局のみんなにはナイショです。