屋久島(口永良部島)取材記⑤
ちょっと間が空いて申し訳ありませんでした。
前回ご紹介したバス停「登り上り」ですが、
どうやら「のぼりあがり」と読むそうです。
どこへ「のぼりあがる」のかは別途取材しておきます。
さて、口永良部島の爆発的な噴火から1か月が経過しました。
ことしの九州南部は雨が降り続いています。
取材中も雷鳴とともに大雨が降ることがしばしば。
取材ノートを急遽テープで防水仕様に。
土砂災害など、これ以上被害が拡大しないことを願うばかりです。
今回の出張、取材で初めて知ったことがたくさんあります。
たとえば、口永良部島には島の外部から移り住んだ人がたくさんいること。
生粋の住民もそうでない人も、みんな同じように島を愛していること。
そしてそこで生まれた子供たちが、心から島に誇りを持っていること・・・。
短い期間でしたが様々なことを考え、経験させていただきました。
災害が起きた現場は我々報道関係者であふれかえります。
今回も、避難者より取材者の方が多いような有様でした。
ご迷惑をかけている部分があることも重々承知しています。
それでも、今回取材させていただいた意味はあったと考えています。
目まぐるしく移ろうこの時代、1か月~半年~1年とたつにつれ、
忘れ去られる出来事も必ず出てきます。
私自身、あんなに怖かったはずなのに
中学3年のときに経験した阪神大震災の記憶が薄らぎつつあります。
時が解決してくれること。
一歩進まなければどうにもならないこと。
赤の他人がどこまで触れていいものかという
葛藤はありますが、1本のニュースで何かが変わる可能性があるなら
これからも現場にお邪魔したいと考えています。
最後に、取材に応じていただいた口永良部島および屋久島の皆様。
本当にありがとうございました。
一日も早く、平穏な日々が訪れることをお祈りしております。