2016年06月の一覧
熊本地震に伴うFNN取材団が、明日、解散します。
発災直後からヘリ3機、SNG車9台、ENG30班、そしてデスク・記者・編集マンなど
FNN系列の精鋭が熊本に駆けつけ、情報番組のスタッフも加えると、500人を越える仲間が支えてくれました。
「とにかく被害規模を全国に流し続ける」
支援の立ち上がりを早くするためにも、
熊本で何が起きているかをリアルタイムで。とにかく中継が命でした。
報道の使命を果たすべく、多くのスタッフは大なり小なり被災しながら飛び出しました。
我が家が壊れたとか、水がないとか電気がこないとか車中泊とか、
避難所に飯がないとか、なにもできないけど、とりあえず自分たちでなんとかして…家族のSOSに構わず戦いました。
そして混乱の中の本震。地元局として丁寧な対応もできない中、
系列のヘルメットや中継車が到着してくれた時の安堵感、感謝は言葉にできません。
重ねて、各局から届いた物資で私たちは生きることができました。各局のロジ担当者にも感謝、感謝。
全国の仲間に、心をこめて
本当に本当にありがとうございました。
余震の中、大切な家族を送り出してご家族のみなさんも、ありがとうございました。
ひとつ恩返しができます。それは、日本全国で災害が発生したら、
熊本地震のノウハウをもった我々がすっ飛んで行くことです。最強のチームで。
もう…疲れました。地震に豪雨、アタマはまともじゃありません。
でも、我が家に帰ると…本震後にも物資を送ってくれた東日本大震災FNN取材団で知り合った東北の校長先生からまた物資が。
酒です。東北の酒。
「21日のめざましテレビの中継みました。とりあえずお疲れ様」
涙酒。
地震取材から頭を切り替え、豪雨取材。
下手な私情は挟まず、淡々と歩きました。
そら自然は無情だ非情だいろいろぶちまけたいですよ。
でもね、怒ったり泣いたりしたら効率よく伝えられません。
熊本の被災地、本当大変なんで知ってください、見てください。
淡々と地震被災地を襲った雨を伝えてます。
ツイッター、Facebookのほうがマスコミより役に立つ!とおっしゃるみなさん、わかります。
お互いやれることやりましょ。
とりあえず、寝ます。
震災後、ずっと着っぱなしだったレインウェア。
熊本地震のいわばユニフォームで、防寒にも役立ちました。
見るも無惨な汚れ具合で…休みを使い丁寧に洗います。
専用の撥水スプレーをして陰干して、梅雨の現場に備えると。
新しいの欲しいのですが、去年の台風も一緒だったので、
験担ぎといいますか…災害現場の御守りよろしく大事に。
神戸と岐阜からボランティアでやって来たお坊さんが、地震で開かなくなったシャッターに絵を描きました。
オーナーさんが「どうせ開かないシャッターだからなんか書いて!」と頼まれたようです。
で、益城町遊撃部隊がたまたま見つけて取材していると「熊本の熊本さんや~!書いてあげる」と書かれました。
この建物、いつか解体されます。それでも街が明るくなるならと完成した作品。テーマは笑顔。
他社も取材しているようですが…ごめんなさい。
片付け、引っ越し、ボランティア。
被災地で最強かつ不足しているのが軽
トラ。
大手カー用品チェーンが被災地に5台をポンと贈りました…という取材。
わたくし、車に関わる品物にあまり興味はありませんが
「必要ならまだ支援しますよ」に被災者として感謝します。
タイヤ替えたりするときは、恩返しに必ずいきます。
カメラを回さず、巡回している地域・被災者が増えました。
決して「取材は嫌」と言われているのではなく、顔を見せることに徹する現場です。
話を聞いて茶を飲んで、また話を聞く。「どぎゃんですかその後…」
もちろんカメラマンも一緒です。
カメラも持ってます。でも、撮らない。話を聞く。「じゃあまた来ます」で帰る。
これを4~5ヵ所繰り返すと、1日数分しかVTR回ってないことも。
こんな取材を許してくれるデスクに感謝です。
バズーカ砲のようにカメラ振り回してはいけない場面があります。
焦らず急がず、無理をせず。先は長いさ…さぁ帰ろ。
「お散歩いこー」
「コンビニ行こー」の掛け声で
ベビーカーにチビ2匹を乗せてひさしぶりのお散歩。
ブロック塀や墓石、空き家が崩れている近所をテクテク。
震災後始めてのお散歩でしたが、
橋の段差や歩道のひび割れ…こんなの復旧するのはまだまだ先だなぁと。
寝ても覚めても地震の爪痕。
仕事で歩くのも地震の爪痕。
温泉だか旅だか…遠くに行きたくなりました。
行方不明の大学生の捜索が1ヶ月ぶりに行われました。
これまで何度も自然災害の現場で見てきた光景です。
「なにか手がかりがほしい」。
たとえ衣服らしきボロ布でも、
確認する家族にとっては「これが息子の物なら、死を受け入れること。嫌だよね」。
それでも濁流にズカズカ入って探すのは、
消防や警察のアクア隊でしかできない。
彼らはサンダルや布片を必死に集めては両親に示しました。
手がかりはありませんでした。
計20台の車両に深々とお辞儀をする家族に、
車内の隊員たちはみんな敬礼を返して現場を去りました。
両親の感謝の言葉に泣いてる隊員を見ると、「あぁこの人親なんだよな」と思います。
もし、これが我が子だったら。泣くために現場を離れました。